フリーダムと自由。

IMGP6615秋の垣根に咲く白いムクゲ

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今朝の朝日新聞デジタルの記事に『カタカナ語、増殖中!』というのがありました。
日本語がどんどん英語に置き換えられて使われている。
このままでは教育や文化面にまでその影響が及び、母国語の衰退は自国への誇りと威信まで失わせる。

と、まあ、そういう危機感がこの記事のテーマだったようです。

日本語の中にカタカナ文字が入り込んで、その占める割合がどんどん大きくなってきたのはもう随分前からでしょう。
それは、その方が伝えやすく使いやすかったからにほかなりません。

ここにも書いてあるように、「コピーライター」のことを、いくら「文案家」と呼べといったって、定着しなかったのも無理はありません。
言葉は生きものですから、使われなくなったらそれはもう「死」を意味します。

私はカタカナ語が多くなるのは、それはそれでしょうがないと思っています。
その方が上手く伝わる、面白く、分かりやすく伝わるのならそれはそれでしょうがないことだと思います。

もっとも、「アカウンタビリティー」だとか「コンプライアンス」だとか「インディビジュアル」だとか、果して自分でも分かって使っているのかどうか疑わしい、やたらカタカナ言葉ばっかしの人の話を聞いているとうんざりすることも事実です。
私はそういう話を聞いていると、失礼ですが「独りよがりのエーカッコシー」と思えてしまいます。
だって相手に何も伝わっていないのですから・・・。
あるいは、「和訳能力欠如人間」と見なしてしまいます。すいません。

外来生物から日本古来の生物を守るために「外来生物法」があるように、言葉についても日本語の威信と地位を守る「日本語保護法」などの法律が必要だと言う人もいるようですが、それはちょっと違うような気がします。

タイトルに書いた「フリーダム」と「自由」ですが、これは明治時代、英語のフリーダムを日本語にどう訳そうかと苦心した結果、日本語の「自由」という言葉を作ったのです。
どうでしょうか?
「自由」という言葉は今、本家の「フリーダム」を席巻して使われています。
このように魅力的な言葉は残るのです。

『ライ麦畑でつかまえて』や『風と共に去りぬ』だって、原題より邦題が勝っていると私は思います。

そもそも日本語は、中国からの漢字を柔軟な応用能力で「ひらがな」や「カタカナ」にも作り替え、外来語を巧みに取り込みつつ進化してきた言語です。
日本語は、他の言語にはない、新しい言葉をどんどん作り出せる非常にキャパの大きな言語なのです。
日本人もそれを受け入れて、新しい言葉を使い、育ててきました。
それが日本語と日本人の良さだと思います。

今、朝ドラで火が付いている「じぇじぇじぇ」などの「方言」とか、昨日書いた「オノマトペ」の新語のように、外来語に負けないためには「新しい魅力ある日本語」でもって対抗すればいいと思うのです。

きっとできるはずです。
本来、日本人の頭ってとっても柔らかいんですからね!

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