「ずく」をずっくり考えてみた。

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昨日、もずく酢を食べた。

なので、今日は「ずく」について考えてみたい。

いろんな「ずく」がある。

長野県の方言で、「勇気」「気力」「根性」「やる気」みたいなことを「ずく」というらしい。

「ずくがある」、「ずくがない」などと使う。

ここ秋田でも「この、ずぐなし坊主め!」という表現はあり、ボクは母ちゃんによくそんな言葉で叱咤されたものである。

かなり前の「若者言葉」で、「ずく」は「調子ずく」ことを意味した。

調子ずく→チョズク→ずく。

さて、「ずく」とは何か?

ずく【尽く】は接尾語である。「尽くし」からきている。

「腕ずく」「力ずく」は、ただその手段だけで、それにものをいわせての意を表す。

「欲得ずく」は、ただそれだけの目的での意を表す。

「納得ずくで決めたこと」「相対(あいたい)ずく」「相談ずく」は、それをした上で、そうすることによって、の意を表す。

損得を考えて行動することを、「計算ずく」「勘定ずく」「金銭ずく」「そろばんずく」という。

英語では「with calculation」という。

ちなみに「そろばんずく」は「そろばん塾」が訛ったものでもある。

確か「とんねるず」が主演した映画にそんなのがあったような気がする。

さて、「ずく」をずっくり考えているボクだが、何だか気持ちが「ずくずく」してきた。

そう、心が「うずく」のだ。

なぜだ?

産気ずいたのだろうか?

色気ずいたのだろうか?

森の長老「みみずく」に聞いてみよう。

お薬の注意書きのなぞ。

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昨日、皮膚科に行ってきた。

頭が失神、いや頭に「湿疹」ができたからだ。

小さな塗り薬を処方してもらった。

IMGP1312ローション

薬局でもらった紙の「働き・注意」というところにこんなことが書かれている。

よく振ってからお使いください。

外用のみにお使いください。

目には使用しないでください。

化粧の下地やひげそり後には使用しないでください。

最後の行が気になった。

飲んだり、目に入れたりする人は、もしかしたらいるかもしれないが、これをそんな目的に使おうという人はいるだろうか?

そう思ってよく見ると、な~るほど。。。

そーゆーことか?

君の名前は『デルモゾールGローション』だったのね。

『ローション』って書いてあるもんね。

な~るほどね!

「ゲイ」とは何か?

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いろんな「ゲイ」がある。

ベロがよく回る「話芸」もあれば、火の輪をくぐる「曲芸」もある。

同じ「エンゲイ」でも庭木の「園芸」もあれば、歌舞音曲の「演芸」もある。

「一芸」に秀でた人もいれば、「一発芸」や「腹芸」が得意な人もいる。

「学芸会」もあれば「かくし芸大会」もある。

「芸能人」がこれをすると、「芸能人かくし芸大会」になって、「ゲイ」が2つも。

「芸人」「芸子さん」「芸者さん」「芸能人」「羽織芸者」というものもいる。

さてさて、「ゲイ」とは何か?

げい【芸】

1 学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術。技芸。「―は一生」
2 人前で演じる特別のわざ。演芸・曲芸など。「猿に―を仕込む」

「芸が細かい」
細部にまで注意が払われていて綿密である。することに念が入っている。

「芸が立つ」
一芸に達する。ひとかどの芸がある。

「芸がない」
1 遊芸のたしなみがない。
2 平凡でおもしろみがない。工夫がない。「人まねをするとは―・い話だ」

「芸が身を助けるほどの不仕合わせ」
生活にゆとりのあったころ道楽で身につけた芸を、生計のために役立てなければならないほど落ちぶれること。「芸は身を助ける」を皮肉にいったもの。

「芸は道によって賢し」
何事もその道の専門家がよく知っている。餅(もち)は餅屋。

「芸は身の仇」
習い覚えた芸のために、かえって身を誤ることがあるという意。

「芸は身を助ける」
一芸にすぐれていると、困窮したときにそれが生計の助けになる。

(以上「goo辞書」より引用)

自分に何か「ゲイ」と呼べるものがあるだろうか?

修練によって身につけた特別の技能だって?

カメムシを驚かさずに取る特別な技はある。

「椰子風うどん」といううどんをつくる特別な料理法ならお手のもの。

人前で演じる特別なわざだって?

人前でしゃべったことはある。

人前で歌ったこともある。

だけども、その程度で「ゲイ」と呼べるだろうか?

[「芸達者」などと自慢できるだろうか?

いやいや、ボクみたいなのを正真正銘の「多芸に無芸」というのだ。

その点、妻の日本舞踊は立派な「芸」だ。

何しろ年季が違う。

30年以上もやってるんだからね。

ボクもいつか「ゲイ」と呼べるものを身に付けたい!

それが「言葉を操る芸」ならステキだなんだがなあ。。。

差別用語を書き換えることによってもっと差別用語化してしまうのではないかと思われる「ふぐ」にまつわる話。

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こういう言葉に関する仕事をしていても、ついうっかり「差別用語」とされている言葉を使ってしまってドキドキすることがある。

そもそも「差別用語」とは何なのか?

差別用語とは、誰が誰のどんなところを差別していると、誰が考え、誰がタブーとして制定したものか?

差別される側が決めたものなのか、差別する側が決めたものなのか?

その辺りの政治的・歴史的なことはボクには皆目分からないが、とにかくそれは「人権」という問題と大きく関わっていることに違いない。

確かに「人は人を差別することで己のアイデンティティーを確かめ満たし喜ぶ生きもの」である。

古今東西そうである。

肌の色、顔の形、身体の造作や、所有財産、生まれた地域、服装の良し悪しばかりか流行の新旧まで、とにかくとにかく、人は人を差別することに躍起になっている。

そしてそれは、いつか大きなエネルギーとなって歴史的には「戦争」や「革命」を生んできたし、身近なところでは「いじめ」や「虐待」を生んでいる。

差別はいけない。

それはゼッタイにいけないことである。

そこは誤解なきように。

ボクが言いたいのは、差別用語を制定したり、単に置き換えたり、言い換えたり、書き換えただけで事が済むと思ってはいけない! とゆーことなのである。

そんな小手先だけで「差別社会」はなくならない。

そんなわけで、いつまでも「大上段に構えた話」はやめとこう。ボクらしくもない。

今日は、簡単に「ふぐ」という言葉について話したいと思う。

「ふぐ」には大きく分けて2つの意味がある。

「おいしくて大満足」のと「あんまり満足じゃない」ことを表すものである。

食べる方の「ふぐ」は堂々と使ってよろしいことになっている。

「ふぐちり」!

「ふぐ刺し」!

ああ、食いてえ!

ところがもう一つのほうは、『新聞用字用語集』によれば使ってはいけない語とされている。

これは「差別用語」であって、「身体障害(者)」、「体が不自由な人・状態」と書き換えなさい。

<注>文脈に応じて他の表現も工夫する。

となっているのだ。

しかし、ボクは思うのだ。

書き換えたほうがむしろ、より具体的に差別的になってしまうのではないだろうか?

どっちの何がどう、差別的で、どっちの何がどう差別的でないのか?

そこがまったく分からない。

こういう、立場によって受け止め方が異なる言葉というものが制定されてから久しいけれども、ボクはどうも、かえってそういう「後々使っちゃいけないと制定された言葉」のほうがむしろ差別的に思えて仕方がない。

制定されたこと自体がすでに差別的な気がしてならない。

誰が、どんな議論を経て制定したものか分からないけれども。。。

昔の小津さんの白黒の映画なんかを観ていると、今は使えない「今は差別的とされる言葉」がたくさん出てくる。

しかし、これらの言葉は差別的どころか、かえって健康的で明るくて平和的だ。

これでいいではないか。

「言えば言葉」の真実。

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ここんとこ、ず~~~~っとブログを書いていなかった。

ブログに限らず、ボクたちはこの連休中、書くことはおろか、考えることすらしていなかった。

今日は、頭のリハビリのつもりで、久しぶりに書く。

リハビリなので、そんなに期待しないでほしい。

昔、会社の上司に「早く言えばさん」という人がいた。

何事にも「早く言えば」を連発するから、みんなそう呼んでいた。

しかし、彼の話はちっとも早くなかった。

フツー「早く言えば」と言った以上、それに続くセンテンスは、それまで申し述べたことを要約したものであるべきだ。

早く言うんだから。。。

ところが、彼は「早く言えば」と言った後のフレーズがより冗長になった。

長くて長くて、早いどころではなかった。

そんな体験を通じて、ボクはこういう確信を持つことになった。

「早く言えば」と言う人に限って、遅い!

似たような体験は、その後も何度かあった。

「手短に言えば」と言う人が、全然手短でなかった。むしろ「手短に言えば」と言った後のほうがやたら長話になることが分かった。

「端的に言えば」もそう。ちっとも端的でなかった。

「分かりやすく言えば」と言った後の話が、分かりやすかったためしはなかった。

「今風に言えば」と言った人もいたが、決して「今風」にはなってなかった。

「噛み砕いて言えば」の人には、本当に噛み砕いてほしかった。

「本当のことを言えば」と言うからには、それまでの話は嘘だったのか! と殴ってやりたくもなった。

「正直言えば」もしかり。

「神懸けて言えば」に至ってはもう、「この嘘つきめが!」とぶっ飛ばしたくなったものだ。

そんなわけで、ボクは今日「言えば言葉」の真実に迫っている。

「言えば言葉」を多用する人には十分注意することだ。

そーゆー人の言うことは決して信じてはいけない。

総じて言えば、そーゆーことになる。

めったにない「おしゃべり賞賛」の言葉。

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口は災いの元。

この言葉が代表するように、「おしゃべり」はあまりよろしくないとされている。

特に男はそうである。

この前、寄席を見に行ったら、三遊亭円楽師匠が、昇太、たい平に対してこう言っていた。

「楽屋で聴いてましたが、どうも男のおしゃべりってえのはカッコ悪いもんですなあ」

お前に言われたくないわ!

確かに「口は災いの元」である。

特に酔った席で発した「おしゃべり」が元で、ボクはどれだけの譴責を受け、失態を演じ、成功を棒に振ってきたか知れない。

ああ、くわばら、くわばら。。。

そんな苦い経験から、ボクはいつしか特定の人しかあまりしゃべらなくなってしまった。

「おしゃべり」=「罪悪」だと思っていた。

しゃべらない代わりに、時々ブログにそれとなく書いた。

そして気を紛らわそうとしてきた。

だが、そのブログに書いたことさえも、時々物議を醸す一因になったりした。

思わぬ敵をつくっていたことを、後で気付かされたりした。

だからもう、しゃべることも、書くこともご法度にしようと思った。

ボクは、自分自身に「禁言令」(別名「お口チャック令」)を発した。

暗~い「おしゃべり冬の時代」が始まったのだ。

しかし、そんな「自主的言論統制」の枠組みは、この言葉によってあっけなく崩壊したのだった!

もの言わぬは腹ふくるるわざなり。

なんてステキな言葉でしょう!
 
いいのね? 

しゃべっていいのね?

しゃべるわよ。

バンバンしゃべるわよ。

え?

もう十分しゃべってるだろって?

。。。。

男性の「ステイタス」における女性がグラッとくる言葉。

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1位「料理ができる」

2位「会社経営者」

3位「医師」

4位「超有名企業勤務」

5位「バイリンガル以上」

6位「高級マンション所有」

7位「ミュージシャン」

8位「一流大学卒」

9位「甲子園出場経験有」

10位「弁護士」

どうも、これらの言葉に女性は弱いようです。

グラッとくるらしいです。

そーゆーアンケート結果があるみたいです。

3位以下はまるで該当しませんが、ボクのバアイ、かつて2位だったことがあり、今1位であるという点で、女性から見てかなり「グラッと度」略して「グラッ度」が高いのではないでしょうか?

えっ? 

お前はその会社を潰したわけだろう!

お前の料理ったってたかが知れてるだろう!

はい、まあ、確かにそーなんですけどね。。。

まあ、ただそれだけの、ちょっとした自慢をしたくて今日は書いてみました。

失礼しました。。。

余談ですが、、、

9位「甲子園出場経験有」というステイタスは、女性にとって果たしてどーゆーメリット、といいますか自慢になるのでしょうか?

ちょっとそこだけが腑に落ちないといいますか、気になっているところではあります。

ケンカ言葉と仲直り言葉。

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疲れてくるとケンカになる。

「この、オタンコナス!」

「るっさい! ナマコ!」

言葉の機能の中には「売り買い」というものがある。

気持ちを相手に伝えるツールだけに、「売る」ことも「買う」こともできるのだ。

相手が『敵意』を売れば、それを買ったほうは『敵意』を返す。

売り言葉に買い言葉。

こうしてケンカになる。

夫婦の場合はまだしも、他人に「言葉を売るとき」は大いに気を付けなければならん。

よほどの覚悟で売らねばならん。

「買うとき」もしかり。

安易に買ってはならん。断腸の思いか切腹覚悟か背水の陣で買わねばならん。

ボクはこれが下手で、今まで随分人間関係をこじらせてきた。

こういう商売をしているくせに、「言葉の売り買い」がほんとに駄目なのである。

言葉のあきんどにはなれそうもない。

「この、オタンコナス!」

「るっさい! ナマコ!」

怒気と敵意を持った言葉の売り買いの結末は「けんか」である。

仲たがい、出入禁止、絶交までいく。

国家間のバアイは「国交断絶」だ。

そんなとき。。。。

関係を修復してくれるありがたい言葉がある。

『合言葉』という愛のこもった言葉だ。

合言葉(あいことば)

共同体や仲間内で用いられる言葉の問答による合図の一種であり、互いが仲間であると認証するために、前もって問答を定めておいた言葉を指す。
日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名。
(ウィキより)

なるほど。。。

「この、オタンコナス!」

「るっさい! ナマコ!」

「山!」

「川!」

はい、あっという間に仲直り!

な~んだ、これでいいわけだな。

でも、ちょっと待てよ。

どっちが先に「山!」って言うんだ?

こっちから言うのはヤだかんね!

そっちが「山!」言いなはれや!

生きて腸まで届く言葉。

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組織という組織には一切所属しないことを常としている。

政治・宗教はもちろん、サークルや趣味の会みたいなゆる~い組織にも。。。

そこで関わりを持つことが面倒くさいからだ。

ボクたちは相当な個人主義者である。

「2人主義者」
といいますか。。。

ただ一つだけ、これだけはどーしても関わらなくてはならない組織がある。

「チョーナイ会」である。

こればっかりは「いち抜けた~!」というわけにはいかない。

ここに引っ越してきて来月で丸1年になるのだが、ボクは来て早々「文教部長」という役を、町内会長さんから仰せつかった。

年3回の会報を発行するのが役目だという。

何だか引くに引けないムードがあったので、引き受けてしまった。

今思えば、引っ越しのどさくさの中での、会長さんの用意周到な「奇襲攻撃」だった。

昨日、総会があって、ボクは役員としてそれに参加してきた。

役員だから途中で帰るわけにもいかず、親睦会までずっといた。

「やれやれ」と思いつつ、何となくホッとして、帰ってから妻に、

「ソーカイ出て気分そーかい!」などと口走っている自分がいた。

明けて今日、今ボクは、ヨーグルトを飲んでいる。

ラベルに
「生きて腸まで届く」
と、書いてある。

生きて腸まで届く、という言葉。

何だか元気になってくる言葉だ。

腸内は「町内」に通じ、

通じは、「お通じ」に通じる。

何だか気分も爽快になってきたぞ。

爽快は「総会」に通じ、総会に出たボクは「爽快」である。

ははははは!

おやっ?

いろんな言葉が、腸の中でギュルギュル駆け回っているぞ。

おっ!

いい感じで「おでまし」になったようだ。

失敬して、しばし中座いたしやす。

ちょいとアレがアレのようなんで。。。

「春」という死と隣り合わせの言葉。

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この時期になると、良寛和尚の辞世の句を思う。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

「あなたもいつか死にますよ」

そう言った、「北の国から」の遺言の先生の言葉を思う。

つい2~3日前、中学の同級生が亡くなった。

そのあまりに早い友の死を、ボクは火葬場の線香の煙の中で、いたたまれぬ思いでかみしめていた。

人は、遅かれ早かれいつか死ぬのだ。

それが「いつなのか」誰も知らない。

ボクの祖母は「山の神の日」に、雷鳴とどろく中で92歳で往生したし、母は「錦秋のころ」、穏やかな木漏れ日を枕元に受けながら病室で静かに息を引き取った。59歳だった。

父は2年ほど前、介護ベッドの上で意識の戻らぬまま最期を遂げた。

ボクのイノチは、いつどんな時分に、どんなありさまで散るのだろうか?

少なくとも、妻より先に死んではならん。

それは妻との約束だ。

妻を見送り、その翌日にボクは、速やかに身づくろいをして後を追っかけることになっている。

それだけは何としても、愛する妻のために実現したい目標なのだ。

そりゃあ時節は、西行さんがこんなん言うまでもなく、こんなころがいいにきまっているが。。。

「願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」(西行法師)

散った友に手を合わせ、最後にこの句で自らに戒めを。。。

明日ありと
    思う心のあだ桜
 夜半に嵐の
    吹かぬものかは(親鸞)