佳境に入っていいもの。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

3月も佳境に入った。

ボクらの仕事が1年で一番忙しい時期も大詰め。

このような場合、3月も佳境に入った、とは言うが、「仕事が佳境に入った」という表現は適切だろうか?

毎日新聞の校閲部のツイッターにこんなことが書いてある。

【注意したい表現】
「佳境」⇒「佳境に入る」「佳境を迎える」は、最も興味深い、面白い場面になること。
「佳」は「よい」「美しい」意味だから、「救援活動が佳境を迎えた」など単なるヤマ場の意味では使わない。

う~ん。

そうすると、やっぱり仕事は「佳境」チームに入ってはいけないようだ。

どう考えても「最も興味深い」「面白いもの」ではないもの。

むしろ、あえて言えばその逆。

なので、仕事は「佳境」さんチームに入れられません。

ごめんね~!

せいぜい「大詰め」さんチームに入ってもらおう。

じゃあ、ボクのサックスの練習はどうだろうか?

初めてのクラスコンサートまで1カ月となったのだ。

これは、もちろん緊張はするものの、明らかに興味深く面白いものに違いないのだから、「佳境」さんチームに入れてあげたいものだ。

しかし、練習は厳しくつらい。唇から血がにじむ。

このバアイ、「佳境」さんチームに入れるべきか、「大詰め」さチームに入れるべきか?

う~ん。

考えてみると、「佳境」さんチームに入れてもいいものって、案外少ないのね。

もっと言えば、人生ってのもまた、山あり谷あり、なかなか「佳境」に入れないままいつしか終わってしまう。

「逆境」とか「苦節」とか「辛抱」とか、そんな時期ばっかりだものね。

特にこの時代はね。

鍋と交わす言葉、竹と交わす言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

かつて料理の取材で老舗の割烹に出向いた時のこと。

作り方をいろいろ教えてもらっていた中で、その板前さんが言った言葉が印象に残っている。

それは「鍋と相談して」というものだった。

「どのくらいになったらお醤油を入れるんですか?」への答えがこれだった。

こちらとしては「おおむね15分くらいして」とか「くつくつ泡立ってきたら」とか、そういう具体的な答えを期待していた。

しかし、その質問に対する答えが「鍋と相談して」だったので、ライター的には大いに困ったものだ。

昨日、昔録っておいた『美の壺』という番組を見ていたら、眉毛が白くて長~い「竹かご職人」が出ていた。

宮崎県に住む「ひろしま」何がしさんという人で、百歳近くまで生きたが今は故人である。

その方が、ビデオの中でこういうことを言っていた。

「竹をだまして編んでいくのよ」

「竹をだます」というのは、こっちに曲げたい時には、いったんあっちに曲げて見せておいて、こっちに曲げる、みたいなことだった。

なるほど。うまいことをいったものだ。

さすがその道の一級の職人たちの言葉は深く、味わいがあるものだなあ、と思った。

彼らは鍋や竹を相手に会話をしているのだ。

彼らと心が通っていなければ、「鍋と相談して」も「竹をだまして」もゼッタイ出てこない言葉ではないだろうか。

そこには長年の相棒に対するあったかい慈しみがある。

ボクも、そんな会話ができるくらいに、何かに没頭して道を極めたいものだが、凡人にはなかなかそうはいかない。

相談したりだましたりするどころか、こっちの話に耳を貸してくれそうもない。

せいぜい妻とおばかな話をペチャクチャやっているのが関の山だ。

呼ぶ言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

「呼ぶ言葉」を考えてみる。

何を呼ぶか?

まずは「人」を呼ぶ言葉。

妻のことを何と呼んでますか?

ボクは「妻」のことは「まあちゃん」と呼ぶ。

あるいは、省略して「まあ」と呼ぶ。

時々「真理さん」とか「代表」である。

人様に向かっては「妻」である。

妻だから妻である。

ここが人によっていろいろである。

妻と呼ぶのはどーも少数派のようだ。

妻のことを「うちのかみさん」と言うのはコロンボだったが、

「うちのかみさん」ということは「外にもかみさん」がいるのか?

と、お亡くなりになった人に突っ込んでも仕方がない。

夫のことを人様の前で「夫」と呼ぶ人も少ない。

フツーは「旦那」「うちの」「亭主」である。

子どもがいる人は、夫を「おとうさん」とか「パパ」と呼ぶが、

本当はそれは「子ども」に許された言葉であって、妻の「おとうさん」や「パパ」は別にいるはずだ。

そうそう、子どもから見たらそれは「おじいちゃん」に当たる人。

妻の「おとうさん」を「おじいちゃん」と呼んでもいいのは「子ども」だけで、妻の「おじいちゃん」は「子ども」の「ひいおじいちゃん」である。

話がやや面倒くさい方向に来たので、ここで軌道修正。

閑話休題。。。

ことほどさように、「人」を指して呼ぶ言葉は多用で難しい。

これはボクの実体験だが、「おまえ」と呼んでも別に問題なかった人を「あんた」と呼んでしまって激高させてしまったことがある。

その人の生まれた地域の違いや呼び方の習慣の違いが思わぬ事態を招くこともある。

人を呼ぶ言葉は、同時に「嵐」や「誤解」を呼ぶ言葉でもあるのだ。

最後に、「自分」を呼ぶ言葉について少し書く。

自分のことをボクは「ボク」と呼ぶが、一番由緒正しいのは「私」であろう。

男でも女でも「私」と自分を呼んでいれば問題はそう起きない。

ところが、いつも気になる「自分」呼び言葉があって、それは「あたい」である。

「おいら」も駄目である。

どーも、こう、何というか・・・なのである。

あと、「旦那ちゃん」や「子どもちゃん」も駄目である。

なんかこう、ざわざわしてしまう。

それが悪いとは言わないが、ボクはどーしてもその人の知性を疑ってしまうのだ。

これらの言葉は、ボクにとってそんな「憶測」を呼ぶ言葉である。

重なり合う言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

「うごめく」という漢字が書けますか?

「蠢」

春に虫が2つ。

いかにも「うごめく感」がある。

このような、同じ漢字を2つ、ないし、3つ組み合わせて構成される漢字のことを理義字(りぎじ)という。

「木」が2つで「林」、3つで「森」。

「口」が3つで「品」、「日」が2つで「昌」、3つで「晶」。

「車」が3つで「轟(とどろ)く」。

「女」が3つで「姦(かしま)しい」。

「石」が3つで「磊(落)」・・・ちいさなことにこだわらない。

こんなふうにして、どんどん画数が多くなっていくのが理義字の特徴である。

それぞれ、漢字を重ね合すことで、気の利いた意味になって面白いが、

「口」に「耳」を3つで、「囁(ささや)く」なんていうのも振るっている。

そんなわけで、早く春の虫が、文字どおり蠢く時節にならんかなあ。。。

「首」を10個ぐらい重ねて伸ばして待ってるよ~!

※3月5日(2017年)は二十四節気の啓蟄。でも秋田の虫は眠そう。。。

苦しい言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

夕べは妻と家で暴飲暴食をしてしまった。

飲酒量はいつもの2倍。

腹いっぱいにいろいろ食った。

そんなわけで、寝ていても満腹で苦しかった。

「ああ、腹ぐるしい!」

そんな苦しい言葉を大量に吐きながら寝た。

朝、起きて体重計に載った妻。。。

顔が曇っている。

ボクが体重計に載ろうとすると、蟹歩きですり寄ってきてこう言った。

「お近づきになりましょう!」

自分だけ太って、ボクが減っていたら不公平だ!

そう言いたいようだ。

ボクだって、自分だけ体重が減っていたら、なんだか心苦しい

ボクが体重計を下りると、妻は勝ち誇ったように手を差し出した。

「お仲間になれたわ!」

そんな愛くるしい妻である。

それにしても太ったもんだ。

2人してほんとに見苦しい限りだ。

あれ?

何の話だっけ?

いつものことだが、お聞き苦しくってすいません。

北前船が伝えた言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

やめなる(病になる)
あんべわり(あんばいが悪い)
うだで(気持ち悪い)

これらは秋田の方言だとばかり思っていた。

それから、死んだばあちゃんがよく「さでもさでもさでも・・・」

と、やたら感激したり落胆したときに言っていたものだが、あれも秋田弁だとばかり思っていた。

しかし、なんのなんの、これらの言葉は「京言葉」であり、皆、北前船に乗ってぽっかり秋田にもたらされたものだった。

「さても」は「なんとまあ」の意味の古語。

「うだで」=「うたて」。

「うたてやな」などと、能の「隅田川」にも出てくる。

がっかりする、嫌だ、情けない、というような意味である。

その他にも「うたてし」はいろんな意味があって、それぞれいろんな古文にも用いられている。

うたてし

[形ク]
1 嘆かわしい。情けない。
「常に思ひ嘆くと聞きはべれば、いと―・くなむ」〈宇津保・蔵開上〉

2 気に入らない。いやだ。
「こちたく酔ひののしりて、―・くらうがはしき事ども」〈栄花・つぼみ花〉

3 心が痛む思いである。気の毒だ。
「うたれさせ給ひけん宮の御運のほどこそ―・けれ」〈平家・四〉

4 感じがよくない。気味が悪い。
「なんと旦那、―・い所ぢゃござりませぬか」〈浄・摂州渡辺橋供養〉

そんなわけで、この「うたてき天気」もそろそろ何とかしてほしいところ。

春が待ち遠しい秋田である。

雪と寒さと日本語への不満感と無常観。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

ああ、本当に寒い!

スゴイ暴風雪!

今朝は、寝室のしまっている窓の隙間からも雪が吹き込んでいた。なんでやねん!?

名探偵ポワロのセリフに「ポワロは隙間風を好みません」というのがあるが
それどころの騒ぎじゃあない。ベルギー人は甘いよ。

ああ、生きていくのがつらい。

これではまるで『八甲田山』で暮らしているようなものではないか!

毎冬毎冬思ってきたことなのだが、北国に住んでいることはいろんな面で損だ。

同じ仕事をしているのに、ボクらは南国の人よりもつらい。

それだけでなく、寒いと暖房費がかさむ。

ざっとひと冬で30万円はかかる。

ものすごい損失感だ。失望感だ。絶望感だ。

北国に住んでいる人は、何か悪いことをしましたか?

そう言いたくもなる。

そんな、不満感満載のいつもの冬である。

さて、ボクが今日不満を申し述べたいのは、北国のひがみばかりではない。

日本語に対する不満だ。

今日ぶち当たった不満は、「感」「観」「勘」の使い分け。

価値観、人生観、歴史観、倫理観。「観」は本質を悟る、見方、見える様子とある。

一体感、第六感、正義感、使命感。「感」は気持ち、感じ方とある。

土地勘、ヤマ勘。「勘」は直観によって感じ取る能力とある。

ついでに、熱燗の「燗」は平仮名書きするルール。「あつ燗」である。

さて、不満感を持ったのは「新聞用字用語集」のこの記述である。

※「無常観」「無常感」などは内容によって使い分ける。

これだから日本語は難しい。

んもう、いったいどっちやねん!?

怒るで~!!!

「アタッシェケース」が正解です。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

アタッシェケースではなくて「アタッシュケース」ですよね、ふつー。

ナルシシストじゃなしに「ナルシスト」ではありまへんか、フツー。

ボーダーレスちゃうくて「ボーダレス」ちゃいまっか、ほんまんとこ。

ボクも校正者という職業でなかったら、「そやそや!」と言っているところなんです。

だって普段はそう使いますもん。

でも、仕事上はそうはいかないのです。

『記者ハンドブック』第13版の「外来語・片仮名語用例集」には、黒字のほうが正しいと書いてあるわけです。

なかなか因果な商売です。

関係があるようでないような「~関係」という言葉。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

「~関係」という言葉がある。

対象をぼやかす言葉だ。

「みたいな~」みたいな言葉。

人々のコミュニケーション能力が落ち、それを補うべく登場した「あいまいもことば」の一つかもしれない。

大体そこらへんの範囲を大くくりに指すから、言われたほうもグサッとこない。けんかにならない。

そんなわけで、「~関係」も大流行りである。

ボクがこの言葉で真っ先に連想する熟語が「肉体関係」である。

対語に「精神関係」があってもよさそうなものだが、それはプラトニックな関係を指す場合よりも、そっち方面の病院関係を指すほうがフツーだろう。

病院関係で思い出したが、先日バス停でこんな会話を聞いた。

「おまえ、ところで今どこで働いてんの?」

「おれか? おれは今あれだ、あっち関係」

「あっちってどっちだ?」

「うん、医療関係」

「へえ~」

会話はそこで終わったが、ボクはその回答者が大学病院の駐車場の案内をしている人であることを知っていた。

まあ、確かに医療関係者と言えなくもない、が、言ってほしくない、とゆーか、やっぱ違うだろ!

同じような関係の問題で、かつて住んでいた村のアキオさんは、生前こんなことを言っていたものだ。

「私の職業は報道関係!」

彼は新聞配達人であった。

確かに報道関係者には違いないが、やはりどこか釈然としないものを感じていたものだ。

では、「~関係」と言った場合、どこからどこまでが「関係内」であって、関係に入れてもらえないのはどこからか?

これは線引きがヒジョーに難しい問題だ。

例えば「法曹関係」と言った場合、「弁護士」や「判事」はもとより、「司法書士」辺りまでは含めて考えていいと思うのだが、裁判所で働く警備員まで含めて「法曹関係」というのはいかがなものか?

同じ音で「放送関係」と言った場合、「テレビ局で働く人」全般を放送関係者と言っていいものだろうか?

そんなわけで、この「~関係」という言葉は大変、大きな含みを持った、懐の広い、それでいて怪しい言葉なのだ。

前述した「肉体関係」もしかりだが、「愛人関係」とか「不倫関係」とか、そーゆー熟語がポンポン出てくることからしても、やっぱりどこか影のある言葉だ。

本を読めない人は人の心も読めない。

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ
今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

いつもいつも「日本語の表記は難しい」と思って仕事をしている。

どーしてそのバアイは「一つ」で、このバアイは「1つ」なのか?

どーしてその時は「とき」で、このバアイは「時」なのか?

校正の仕事は、このような「悩み」を宿命的に抱えながら、それでも「それはこーだからこっちなのだ!」と自他ともに納得させなければならない。

その「よりどころ」は『新聞用字用語集』(13版)だったり文部科学省の『改定常用漢字表』などなのだが、これがなかなか厄介だ。

ちなみに「よりどころ」は「拠り所」なのか「寄り所」なのか「依り所」なのか「因り所」なのか?

正解は「よろどころ」である。

なぜだ?

と言われれば、こう言うしかない。

『新聞用字用語集』(13版)にそう書いてあります、と。

そんなわけで、それでなくても日本語表記は難しいのだが、

校正や校閲という仕事は、日本語のような表記の難しい文字文化の上にこそ成り立ってもいるわけだ。

日本語が難しいからこそおまんまが食える、ということ。

しかし、そんなボクらの職業を脅かすことが起こっている。

それは「聞く本」オーディオブックの台頭だ。

アマゾンでは「オーディブル」といって、文芸書から落語まで、いつでもどこでも歩きながらでも読める、いや「聞ける」のだ。

そーなってくると、どーなるか?

人は活字そのものを読まなくなる。今まで以上に読まなくなる。読む必要がなくなる。聞けばいいのだから。

そーなってくると、どーなるか?

文字が要らなくなるとは言わないが、少なくとも今ボクらを悩ましくしている「表記」というものが必要なくなる。

文部科学省の『常用漢字』がやがてなくなり、そのうち日本語の表記は全て「ひらがな」でいい決まりになる。

そーなると、どーなるか?

ワシラは廃業する。

が~ん!

そんな暗い気持ちになっていると、妻が横でこう言った。

「本を読めない人は人の心も読めない」

なるほど。

何だか、訳もなく納得するボクであった。

みんな、本読もうね!

そうそう、このコーナーの表記は「日常のしかつめらしい表記ルール」に対して、

ささやかな反抗を企てるべく、あえて『ふにゃふにゃぐーたら表記』で書いています。

あしからず。