新しいことに胸張る神無月

10月になりました。

寒くもなりました。

重くもなりました。

年を取るといろいろ面倒くさいことが増えて

新しいことはできるだけしたくなくなるらしい。

したくなくなるとどうなるか?

どうなるか?

うん、駄目になるねえ、間違いなく。

駄目になってはいかんでしょう。

だからなんか始めようと思った。

重い腰を上げて、折れ曲がった背筋を伸ばして、

ああ、嫌だ、ああ、嫌だ、と

愚痴ばっかりになっている自分をムチ打とうと誓った。

グチはいかんが、ムチはいい。

無知じゃなくて鞭のほう。

そんなわけで、今日からいろいろ新しいことが起こる。

その一歩は営業支援サイトへの登録だ。

あるビジネスマッチング会社にお金を払って登録したのだ。

今まで、ホームページとSNSに頼っての「待ち」の営業だったが、

結局的に打って出ることにした。

さあ、この投資が長と出るか半と出るか。

妻も何やら新しい展望を描いているようで頼もしい。

そんな僕らをチャレンジャーにさせてくれたのは誰か?

実は向かいの中学校やその向こうの小学校や、

お隣の幼稚園と保育園から聞こえてくる「若々しい歓声」である。

ああ、いいなあ。

ああ、僕らもこんな時期あったよなあ。

そんなハツラツとした元気な声に後押しされて、

僕らはそんな決断をしたのかもしれない。

そんな夢いっぱいの10月である。

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秋聴けばなぜか切ない夏の歌

夏に夏の歌を聴くと盛り上がる。

今年はアマゾンミュージックのアンリミッドというすてきなサービス(とはいえ「サブスクリプション」なので月々課金)に登録してずいぶんいろいろな曲を聴くことができた。

何といっても、妻とはまったのがサザン(サザンがキュウとか言わないでね!)。

「真夏の果実」「TSUNAMI」から始まって「ラチエン通りのシスター」や「シャララ」まで一気に盛り上がった。

記憶がバック・トゥー・ザ・青春!

だった。

こうやって僕たちは50年近く(半世紀ほど前)の人生譜の中の音符や休符を演じていた。

それは時に、4分音符になり、8分休符になり、三連符になり、スタカートになりして、さまざまな楽曲を奏でてきた。

ピカピカ躍動の青春を謳歌してきた。

『僕の青春譜』。

楽しかった。

ただただ楽しかったな。

でも、秋に、同じ曲を聴いているとなぜか、同じ曲が切ない。

なぜなんだろう。

それはきっと、あの頃、夏に海辺で燃えた恋が、秋にすすきの原で何度も萎れていったように、

きっとその頃の記憶と重なるからだろう。

あの子は、今頃・・・

間違いない。

還暦のすてきなおばはんになってることでしょう。

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人間を映す鏡の体重計

「あ~あ、また太った。夕べのパスタのせいだ」

「それと酒も飲み過ぎた」

朝、体重計に載るのが習慣で、その記録を厳密に書き取っている僕たち。

例えば、500グラムずつお互いが増えた場合は冒頭の会話になる。

その反対に減量に成功した場合は次のような会話。

「ほらね! やったね! ご飯の量を7割にしたかいあったね!」

「お酒も1合とちょっとだったしね!」

これを繰り返している。

増えると前者、減ると後者。

よく人間を表しているなあと思う。

ちょっと良くなれば油断し、悪くなれば兜の緒を締める。

まあ、それが人間であろう。

毎日気付くだけでも、立派な人間であろう。

そういうことにします・・・

人間を映す鏡の体重計

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不織布に負けるな子どもたちの夏

手前に中学校、その向こうに小学校。

その先に秋田市近郊の街並みがあって、

遥かに神の山「鳥海山」が見える。

そんな恵まれた所に住んでいる。

子どもたちは今、夏休み。

時々、部活やスポ少の子供たちの声。

あるいはブラバンの音が響いてくる。

僕はこのような子供たちの出す音が好きだ。

かなり好きだ。

この子らの未来を守りたい。

不織布に負けるな子どもたちの夏

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虫を食み虫に食まれて夏がゆく

輪廻とか、回向とか、命が繰り返すということを感じるのがお盆かもしれない。

追善供養。

先祖に手を合わすことが僕は好きだった。

いつから好きになったのか。

それは、祖母の脇で仏壇に向かっている時からだから、ほんの幼少の時分だ。

今年も故郷に帰り墓参したが、祖父の戦死者記念碑の前の雑草を、

いつもきれいに刈ってくれていたおじいさんが亡くなったと聞いた。

その方の家に行き、新盆用に設えられた仏壇で拝ませていただいた。

「時期が時期だったから、人も坊主も呼べず、それだけが心残りだ」

と無念そうに言った、同年代の息子さんの言葉が重くて悲しかった。

戦争で命を散らす者もいれば、病気や事故で生命を落とす者もいる。

いろんな命がいろんな理由で生まれ、死んでいく。

そしてまた「生まれる」を繰り返す。

そんな輪廻の不思議。

長い長い無限の時間の中で、この世にいる時間は一瞬かもしれない。

人間だけでなくあらゆる生命もそれはみんな同じ。

虫を食み虫に食まれて夏がゆく

また一つ夏がゆく。

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指先にとまらぬトンボの悲しさよ

お盆が終わった。

このころになると、トンボを目にすることが多い。

このマンションの12階でも、たまに見掛けることがある。

僕が子どもの頃、田んぼはトンボとイナゴのオンステージだった。

黄金色の中でやつらが眩しく光って飛んでいた。

指を空に高く掲げると、トンボはすぐにその先にとまった。

「ばかだなあ、こいつ」と思いながらそれを見上げていた。

馴れ馴れしいやっちゃなあ。

そんなに無警戒だとすぐ捕まってしまうじゃん。

「ばかだなあ、こいつ」

そう言いながらいつまでもトンボと一緒にあぜ道を歩いた。

指先にとまるトンボの悲しさよ

それから半世紀。

僕はそれなりの人生を生き、まあ賢くもなった。

今の僕は簡単に人の指先にとまらない。

それを大人というのだろう。

でも、それは本当に賢いことだろうか。

僕は賢く人生を送ってきたことになるのだろうか。

得たものとなくしたものを思うと、ふと悲しくなることがある。

トンボを従えた手を空に高く突き上げ、誇らしげにあぜ道を闊歩したあの頃の少年はもう戻ってこない。

どんなに手を高く掲げても。

指先にとまらぬトンボの悲しさよ

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大切な人が帰って箸しまう

おばあ、が帰った。

今年は無理かと思っていた来秋。

しかし、兄弟姉妹のたちの送り迎えのおかげで無事終わった。

ほとんど「おしん」鑑賞の日々だったが、

それでも喜んでもらえたようだ。

またこうして会える日が来るように、

箸や茶わんを片付けながら、今、僕たちは鳥海山に向かって祈っています。

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コロナ禍に来られし義母の高いびき

毎年恒例になっていた年に二度の義母の来秋。

去年の秋も転居の祝いを兼ねて来てくれ、マンションの12階から見る景色に感動していた。

それで、春もまた!

と意気込んでいたのだが、コロナ。

少し前、脈拍の乱れで救急車で搬送される騒ぎもあった。

なので、今年の来秋はかなり危ぶまれていた。

でも来た。

来てくれた。

義姉に付き添われながら、ガラガラの秋田こまちに乗って、9カ月ぶりの秋田のホームに降り立ったのは7月6日だった。

義兄夫婦がクルマで迎えに来るのは13日。

もっぱら家で3人で「おしん」を見ているだけなのだが、本人は充実しているようだ。

朝5時、こうしてマイルームから聞こえてくる高いびきが、それを証明している。

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極太の筆雲の朝日傘出す

 極太の筆雲の朝

今日も暑くなりそうだ。

朝5時台にそれを感じる。

妻が「あの雲すごい!」

と言った。

一文字に太く白い刷毛が青いキャンバスを横切っている。

そんな日、お鍋用のジュンサイが届くのだとか。

そりゃ、聞いただけで暑いなあ。

そんな日に、僕はサックス背負って・・・。

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フライパン三つ届いてなんでやねん 

Amazonに26センチのフライパンを注文した。

それが今日とても大きい箱に入って届いた。

「フライパン1個にどんだけ~!」

と、笑いながらカッターで箱を開けた。

「わっ!」

驚いて、妻が死ぬほど詰まった緩衝材の空気袋にカッターを入れ始めた。

「それにしてもなんだってこんなに」

僕は底をまさぐった。

「あった!」

「あれ?」

よく見ると3つ重なっている。

なんでやねん?

もしや、セットで大中小を買ったのか?

しかしそうではなかった。

それならばまだマシだった。

なんと! おんなじ26セントのフライパンが3つ重なって入っていた。

もう笑うしかなかった。

しばらく笑ってからネット注文履歴を当たってみると、

間違えたのはどうやら僕のようだ。

3つ買ったことになっている!

なんでやねん?

そういえば、このフライパンを買うことになったのには訳があったのだ。

先日ギョーザを作ったのだが、焼く時、フライパンの底にくっ付いて酷い出来栄えになってしまったからだ。

「え~い!、もうこんなテフロンの剥げたやつ、要らない!」

ってイライラしながら、ポチをしてしまったものだった。

それを妻に指摘された。

イライラするとろくなことがない、という教訓。

2個返品するかどうか迷ったが、やめた。

返品の送料のほうが高くつきそうだったから。

ところで、今、物置に2個入っているんですけど、誰か欲しい方いませんか?

2つ目を出すのは10年後になりそうだから。

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