ムクムク春はやってくる。。。

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田畑に雪はかなり残ってはいるものの、雪国秋田にも、春はムクムクやってきつつあります。

毎年、この時期になると、読みたくなる本があって。

それは、横光利一の『春は馬車に乗って』

 彼と妻とは、もう萎れた一対の茎のように、日々黙って並んでいた。
 しかし、今は、二人は完全に死の準備をしてしまった。
 もう何事が起ころうとも怖がるものはなくなった。

 そうして、彼の暗く落ち着いた家の中では、山から運ばれてくる水瓶の水が、いつも静まった心のように清らかに満ちていた。
 彼の妻の眠っている朝は、朝ごとに、彼は海面から頭をもたげる新しい陸地の上を素足で歩いた。
 前夜満潮に打ち上げられた海藻は冷たく彼の足に絡まりついた。時には、風に吹かれたように、さまよい出てきた海辺の童子が、生々しい緑の海苔に辷りながら岩角をよじのぼっていた。
 海面にはだんだん白帆が増していった。
 海ぎわの白い道が日増しに賑やかになってきた。

 ある日、彼の所へ、知人から思わぬスイートピーの花束が岬を廻って届けられた。
 長らく寒風にさびれ続けた家の中に、初めて早春が匂やかに訪れてきたのである。
 彼は花粉にまみれた手で花束を捧げるように持ちながら、妻の部屋へ入っていった。

「とうとう、春がやってきた」
「まア、綺麗だわね」と妻は言うと、微笑みながら痩せ衰えた手を花のほうへ差し出した。
「これは実に綺麗じゃないか」
「どこからきたの」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先に春を撒き撒きやってきたのさ」

 妻は彼から花束を受け取ると両手で胸いっぱいに抱きしめた。
 そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として目を閉じた。

 ああいいなあ。。。

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