負うた子に教えられて浅瀬を渡る。

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負うた子に教えられて浅瀬を渡る。

小さな子供は一人で川を渡れないが、背中に負ぶった子は上から浅瀬と淵をよく見分けて教えることができる。
その子に教えられて深みにはまらずに済むこともあることから「熟達した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に物事を教わることもあるということ」

こんなふうに使います。

「負うた子に教えられて浅瀬を渡るということもあるから、息子の意見にも耳を傾けたほうがよい」

おう【負う】

①何かを背中に載せて、支える。(中略)「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か」(新明解国語辞典:第7版) 

「負う」という語感が好き。

負うことも、負われることもしばらくしていない。

それは、負うような小さい子や、負われるような親がいなくなってしまったせいである。

もっともそれ以前に、おのれの腰が弱くなったからでもあるし、目方が重くなったからでもある。

それでも時々、「負う」という言葉に郷愁を覚えるのは、自分が老いたせいなのかもしれない。

今日、6月23日は童謡『赤とんぼ』の作詞家、三木露風の誕生日である。

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