真夜中の公衆電話。

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この時期、思い出すことがある。

大学受験に失敗して、仙台で初めて「ひとりぐらし」なるものをした記憶だ。

それは、おぼろげな記憶ではなく、けっこう輪郭のはっきりしたものだ。

今とは違って多感な時期だったからだろう。

記憶の枝葉に「自慢」「装飾」の類いは付いていない。

あえて言えば「ほろ苦さ」だけをその周りにまとった、ボクのうら若き青春の記憶。

ケータイなんてなかった。

通信手段は公衆電話。

グラウンドのバックネット裏にボックスがあった。

夕食後によくかけに行った。

十円玉をポケットの中でジャリジャリさせながら。

親にかけるときはそうだった。

でも、それよりも高い頻度で、百円玉をしっかり握ってかけに行く、浮かれたボクもいた。

決まってそれは真夜中。

だが、無情にもあっという間に百円玉はなくなった。

親んときはお釣りがきたのに。

満足と不満足をごっちゃにして、

ボクはくもった公衆電話ボックスを出た。

そして、星のまたたく下、アパートへの坂道を上った。

あの光景を忘れない。


♪いつでも帰ってくればいいと、

真夜中の公衆電話で、

言われたとき笑顔になって、

今までやってこれたよ♪

そう歌った槙原の気持ちがよく分かる。

この光景が絵になった時代は終わった。

彼の歌だけが、時代遅れの郷愁とともに胸に響いてくる。

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