「つながらない」口惜しさを乗り越えて。

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今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

さあ! つながりましょ!

あなたもわたしも僕も君も、世界中のみ~んなとつながりましょう!

そんな時代になったね。

そんな圧倒的な「つながり旋風」「つながりトレンド」の中で、「やだやだやだ!!」と言える人は少ない。

フェースブックなどで、「友達ですよね!」などと言い寄られると、「いや、別に」と言えないムードがある。

「いや、あんたは友達じゃあないよ」などと言ったら最後、ただじゃ済まない気がする。

一生呪われる気がする。

なので、まあ何となく「ええ、まあ、そういえないこともないですよねえ、、、あははは」などとやり過ごしているうちに、いつの間にか困ったことになってしまっている。

そうなのだ。なんだかよく分からん友達とたっくさんつながってしまっているではないか!

あれ? 友達って誰?

そういう状況下に置かれ、右往左往してしまっている自分がいた。

おととい「白い一日」の小椋さんのコンサートを見に行った。そこでこんな歌の歌詞を聞いた。

着ぶくれした心が重たいならば、裸になって、次の街へ~♪

なるほど、そうだ、よしっ! 裸になろう!

着ぶくれした人間関係を断ち切っちまえ!

で、思い切って裸になった。

そうしたら隠れていた「本当の友達だけ」が見えてきた。

そして、ヒジョーにすっきりした人間関係を再構築することができた。

のべつまくなしに「つながり過ぎる」のはよくない。

すっきりした気分でそう思っている今日このごろである。

そーいえば、昔は、別の意味でいろいろつながりたかったものだ。

例えば子どものころ、ボクはどーしても「リンゴの皮」をつなげたかった。

何度やっても途中で切れるリンゴの皮を、最後までつなげて剥くのが夢だった。

それから「ダイヤルアップ時代」のインターネットも「つなげたかった」ものの一つ。

チュルルルルルル、プ~プ~プ~。。。。。プツッ!

しょっちゅう切れた。

当時、ボクはどんだけ悔しい思いをしたことか。

あのころのインターネットは実に頼りなかった。

そんな「つながらない」口惜しさを乗り越えて今がある。

そして、今は逆に、あんまり有象無象につながりたくなくなっている自分がいる。

人間関係なんてもんは、電話回線やリンゴの皮と違って、願望や努力目標ではないような気がする。

「つながらない」自由もあるし、これもけっこういいもんですよ。

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