願わくはこの紙のよに流したい

これでは何のことか分からないですよね。

今日から俳句ではなく「短歌」にしたいと思っております。

なので、次にこういう下の句がきます。

蒼き時代の紅き過ち

願わくはこの紙のように流したい蒼き時代の紅き過ち

自分で歌評をすれば、こういうことであります。

トイレに入り目に飛び込んだ「水に流せます」の文字。

水に流せる、と聞くといろいろ流したいものが目に浮かびます。

ああ、恥ずかしかったな。

今だったらあんなことしないのにな。

今だったらゼッタイやってないのにな。

そんなことがわが青春には山のようにございます。

布団の中で、考えれば考えるほど、いろんな顔が浮かび、

すまん、すまん、すまん、と、頭を掻きむしりたくなります。

穴があったら入りたくなります。

棺桶があったら潜り込みたくなります。

顔が真っ赤になります。

でもまあ、そうやって最初はみんなそうだったのだ。

恥ずかしく感じるのは、きっとおのれが成長したからだ。

などと、勝手に自分を静かに許容しながら、どうやら生きていくしかないようですね。

あ~あ。

あ、そうそう「願わくは」なのか「願わくば」なのかで、妻としばし議論になりました。

平安時代に詳しい高貴な妻は「願わくは」だと主張。

江戸時代に詳しい乱暴者の僕は「願わくば」だと力説。

妻は西行の例の短歌を出し、

願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

と優雅に詠み、僕は江戸時代の歌で何かないかなあ、と思いながら2時間考えて結局出てこず、

軍配は妻にあがったのでした。

実際に調べてみると本来はやっぱり「願わくは」だそうです。

願わくはこの紙のよに流したい

蒼き時代の紅き過ち

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