薄氷を踏むがごとくに老いきたる

昨日公園でサックスを吹き、帰りに靴ひもを結び直そうとしたときだった。

ぎくっ!

「わっつ!!!」

思わず大きな声が出た。

同時にの忌まわし過ぎる記憶がよみがえった。

ぎっくり腰には今まで何度も悩まされてきた。

息ができないほどの激痛を経験している。

そこは野球場のトイレ前。

少し体を動かそうとしたが、恐怖と痛みで動かない。

困った。

家までは普通に歩いて10分以上ある。

携帯でかろうじて妻に電話した。

妻は僕同様、いやもしかしたら僕以上にぎっくり腰の厄介さを知っている。

寝たきりでトイレにさえ立てなかった僕を、手厚く介護してくれたこともある。

焼酎の紙パックを尿瓶代わりにしてくれたことも。

頑張って靴ひもを結び、なんとか立ち上がるまで10分。

それから少しずつ少しずつ足を前に動かした。

分速1メートルでの移動はつらかった。

途中2カ所横断歩道を渡る時は特に大変だった。

路面のちょっとした凹凸でも腰に激痛が走った。

お年よりや障害のある人たちに寄り添っている気持ちになった。

いや、おのれ自身がお年よりであり障害のある人そのものであった。

急いで迎えに出てきた妻と県庁の前で出会った。

サックスのケースを背負ってもらい、手をつないで支えられながら家に着いた時は、脂汗がシャツをぬらしていた。

痛み止めを飲み、少しずつ痛みが遠のく。

僕は思った。

ありがとう、妻よ!と。

そして、こうも思った。

こうやって本当に年を取っていくのだなあ。

薄氷を踏むように、一日一日、自分の老いていく身体とこそこそ折り合いをつけながら、軟弱に確実に、老いていくのだなあ。

そんな中で、一人では何もできない僕はまた思った。

妻、ありがとう、と。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です