ペンの日に思うこと。

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言えない。言える。言えない。
言える。言えない。言える。
言えない。言える。言えない。
言える。言えない。

言えないことの方が多いから、
人は書くのだと思う。
 
(パイロット)

今日11月26日は「ペンの日」でもある。

なぜなのか? なぜ今日が「ペンの日」なのか調べてみると、「日本ペンクラブ」が制定された日とある。

1935(昭和10)年のこの日、日本ペンクラブが創立された。

ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の団体である。

ペン(PEN)は、文字を書く道具としてのペンをあらわすとともに、Pは詩人(Poets)と劇作家(Playwrights)を、Eは随筆・評論家(Essaists)と編集者(Editors)を、Nは小説家(Novelists)をそれぞれ表す。

へえ~、知らなかった。。。

ところで、日本ペンクラブの上部国際組織である「国際ペンクラブ」のジョン・ラルストン・サウル会長は、日本政府の「特定秘密保護法案」に対してこのような声明を発していた。

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政府にとり必要な秘密は少なく、市民には多くの情報に接する権利がある。
市民は自らの役割を果たすために情報に接する権利を持っている。
ところが世界中で政府や官僚が自らの行動を隠し、曖昧にしたいと考え、「秘密」が膨れ上がっている。
秘密を保全したいという強迫観念は日本でも、ヨーロッパでも、南北アメリカでも流行となっているようだ。
それは正しいことではない。
民主主義は三つのことで成り立っている。
市民と、彼らの表現の自由と、政府の透明性である。
どの国の民主主義にも、それぞれ特徴があるが、これらの三つのことは万国共通である。
その弱体化をはかることは、民主主義を損なうことである。
国家が過剰に情報を保全すれば、市民はその情報を他の手段で開示しなければならなくなる。
その場合の責は、透明性を高めようとした人々ではなく、透明性を損なう者が負わねばならない。 

日本政府の「特定秘密保護法案」は、国にとって差し迫った必要でも、実際の秘密でも、公益を守るためのものでもない。
それは政治家と官僚が、過剰な秘密保全の考えと、秘密保全へのヒステリーに瀕した強迫観念の背後に隠れ、ただ市民の情報と言論の自由を弱体化させ、自らに権力を集中させようとしているものに思われる。

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国際ペンクラブ副会長で作家のユージン・ショルギンはこう語る。

日本で言論の自由という民主主義の権利の制限が検討されているというニュースに接し、大いに憂慮しています。
これは、世界の大多数の国が採択した国連人権宣言に対する、危険で非常に落胆すべき最近の傾向に陥るものです。
この傾向は9・11後の米国に始まり、多くの国が続いたものですが、日本がその仲間に加わらないことを信じてやみません。
近視眼的な政府が、国家に押しつけようとしているこの言論規制を止める日本ペンクラブの活動を、私は全面的に支持します。

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国際ペンクラブ・獄中作家委員会委員長マリアン・ボツフォード・フレイザーも。

表現の自由は政府が弄ぶものではない。
それは政府が憲法の下で守るべき、基本的人権のひとつである。全ての市民は、読み書きと知識と情報についての権利を保障されなければならない。
日本で提案されている「特定秘密保護法案」は作家やジャーナリストが自らの仕事によって処罰されると脅かされるだけでなく、全ての日本の市民の権利を奪うものである。
現状の法案では、自己検閲と曖昧な言論の風潮を作り出すものとなるだろう。

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私たちもペンを持って仕事をしている端くれとして、昨日「反対運動」に署名をしてきた。

が、今日、その法案は強行に採決され、あっさり可決したようだ。

またひとつ、未来に禍根を残す「愚」を、国民は演じてしまった。

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