巨大なアスパラガスが届き、あたたかいことばが添えられていた。
3月末から大潟村にアスパラガスの収穫に歩いております。
少しですけど送ります。
ほっぺがおちるくらいのおいしさです(アハハハ・・・)
これからも体に気をつけてお互いに頑張りましょう。
いつもいつもありがとうね。
町村にいた時の隣人の鈴ちゃんからだった。
本当に心がこもった、涙が出るくらいの美味しさだった。

こんな言葉にも出会った。
お彼岸の帰り、亡くなった叔父に香典をお持ちしたことへのお礼文。
いとこのお嫁さんからのものだ。
(前略)
今度主人が在宅時いつでもご来遊くださいませ。
ゆっくり、まったり一席。
時は流れました。
この人は、僕が離婚後も前の妻と親交が続いていたやに聞いていたので、僕や妻のことをよく思っていないのではと思っていた。
最後の一文に、あれから20年の、 言い表し尽くせない時の重みを感じた。
時は、その時は真剣で真っすぐだったにせよ、どこか幼くも粗削りだった自分に許しを与えてくれたような気がする。
若気の至り
Blame it on my youth
それを包み込む、あたたかいことばたち。