「言葉じゃないもの」を「言葉の間」に「込める」作業。

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今日もワンプッシュ、よろしくお願いします!

何も言わないって、
言葉なんだ。
(集英社/太田祐美子)

言葉や形よりも「行間」だったり「余韻」に込めたものの方が、本当はみんなに深く伝わるものだと思う。

で、それを込めないようにして、見せることに徹するとスカスカなものになってしまうんだ。

だから、モノを作るには「込める」時間が絶対いるんですよ。(リリー・フランキー)

何年か前に、十数年ぶりに芥川賞の該当者が出なかった時、選考委員の一人宮本輝氏の選評の見出しは、「行間のない文学」だった。

「委員ひとりひとりは、言葉は違っても、どの候補作に対しても「何かが足りない」という意味の、それもかなり辛辣な評価をした。

だが、残念ながら、「何かが足りない」と言うしかないのだ。

これはなにも文学に限ったことではない。

芸能の世界においても、物を作る職人の世界においても、スポーツの世界においても、あるいはひとりの人間の領域においても同じである。

自分にとって決定的に足りない何かがいったい何であるのかについて、結局は、自分で考え抜いて掴んだものしか現場では役に立たないのだ

ボクは小説を書き出した時(もう十数年も前になるが)、自分の語彙の少なさを補おうと、たくさんの言葉を勉強した。

それは辞書引くことでもあったし、たくさんの本を読むことでもあった。

でも、本当にいい小説を書くためには、「行間や余韻に込めるもの」を意識しなければならないと思う。

それは辞書を引くような勉強ではなく、自分自身としっかり向き合い、自分自身の長所短所、生き方を深く突き詰めていくことなのだろう。

宮本輝さんの言う「自分で悩んで考え抜いてつかんだもの」を行間に込めるということなのだろう。

自分が人間的に成長しなければ、一朝一夕にそれは叶わないもの。

まだまだ先は長い気がするが、とにかくがんばりましょう!

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