「たいかんのうんげい」と読みます。
日照り続きのことを「大旱(たいかん)」と言います。
そして、「雲霓(うんげい)」は、雲とか虹のこと。
たいかんのうんげい【大旱の雲霓】
大ひでりの時に、雨の前兆である雲・にじを待ちこがれるように、物事・時機の到来を切望することのたとえ。(新明解国語辞典:第6版)
この言葉、今年は使えるチャンスがありそうだなあ。
とにかく暑くて、日照り続きの夏になりそうだから。
ただ、いつも思うのは、果たしてこういう会話が成り立つかどうか?
例えば水撒きをしている、カーボーイハットを被った近所のおじさんに向かって、
「いやあ、精が出ますな。文字通り、たいかんのうんげい【大旱の雲霓】ですな、まったく。いやはやいやはや・・・」
と、言った場合の反応です。
恐らくポカンだろうと思うわけです。
その場合、握っていた水道のホースの先が、誤ってボクのほうに向けてられてしまう危険もありそうです。
コミュニケーションというのは、相手と自分との「最大公約数の語彙」で成り立ちます。
この極めて重大な原理原則に気付かないと大変なことになります。
さっきのおじさんが、陰でこんなことを言っているかも知れません。
「こんな暑いのに『たいかん』だってよ。あいつ、暑くて少しおかしくなったな」
彼の頭にある「たいかん」は、「大寒」のことかもしれないのです。
言葉の難しさは、実はこういったところにもあります。
不特定多数に語り掛ける場合でも、どの辺を基準(落としどころ)にするかはとても重要。
ネットでは、「どうだ、オレはこんな難しい言葉も知ってるんだぜ!」的な表現をよく目にしますが、あれは完全に自慢、自己満足。誰も評価してはくれてません。
むしろ自己顕示欲の強い人、という悪評化を頂戴しているのです。
くれぐれもご注意・・・
あっ!
これって自分に言い聞かせなきゃいけないことだった。。。