一定の目的にかなっている様を「合目的的」という。
ボクは昔、部下が何かの報告に書いたこの言葉を、
「君、恥ずかしいよ。的がダブってるよ」と指摘して、逆に大恥をかいたことがある。
恥ずかしいのは言葉を知らないボクのほうだった。
その時の、部下は有名国立大学を出たインテリだった。
「ああ、こういう言葉があるの知りません?」
ああ、あの時の彼の勝ち誇ったような顔を思い出すと、今でも穴があったら入りたくなる。
コノヤロー、引っ掛けやがったな! と内心思ったりもした。
まあ、そんなつもりで言ったんじゃないかもしれないけど。。。
言葉を扱う商売が長くなったが、だからこそ、言葉を知らないことはヒジョーに恥ずかしいと思う気持ちが強くなった。
だからといって、あんまり神経を使い過ぎるのもどうかと思う。
言葉は「ゴムひも」のように、伸びたり縮んだりするものだ。
時代によっても、その時の状況によっても、語る相手によってもだ。
だけど、やはりそこには最低限のルールはある。
「合目的的」を誤字だと言い切ってしまうようではいけません。
早い話、言葉はどんな時代でも「合目的的」であらねばならない。
一定の目的に沿って、心の中にある無言の思いを形にして伝える。
それが言葉だ。
話は変わるが、ボクは最近サックスを始めた。
半年ぐらいやって、何とか、1曲ぐらいはつっかえつっかえだが吹けるようになってきた。
音楽の世界にも共通の「言葉」が存在することも分かった。
それは楽譜だ。
いろんな符号があって、それぞれに意味がある。
それは言ってみれば「音の言葉」であり、曲を奏でる上での基本ルールがそこにはギッシリ書かれている。
そのルールに沿って、今日は合目的的に奏でてこようと思っている。
何しろ今日は人生発のサックス演奏発表会なのだ。
つまりボクにとってのデビュー戦なのだ。
ようし! 行ってきます!!
(昨日は最後の練習を「太平山」に向かってやりました)↓