最近分かってきたことがある。
いい文章は「ひらめき」である。
いい文章を書くには「ひらめき」が欠かせない。
でもそれだけでは駄目だ。
いい文章は、陶芸のようにこねあげるものだ。
まず最初の書こうとする動機が、『土』だろう。
いい土選びが大切だ。
これを頭の中でこねる、こねる、こねる。
次はろくろにかけて回す、回す、回す。
回しながら形を整えていく作業が、『推敲』だ。
土選びにも「ひらめき」は大切だが、実はろくろで回しながら整形する時にこそ「ひらめき」は全開する。
小さな「ひらめき」を何度も何度も重ねて、こねあげて、こねあげて、こねあげて、作品にしていくのだ。
また言う。
いい文章に欠かせないのは「ひらめき」。
そして、それは毎日毎日積み重ねる『推敲』において磨かれる。
「インスピレーション的ひらめき」を「1」とすれば、推敲段階で繰り返される「職人的ひらめき」はその百万倍の重さを持つ。
地味だが、創作の喜びを繰り返しかみしめることのできる時間でもある。