今さっき、マックスバリューに買い物に行って戻ってきた。
8時半に家を一人で出たのには訳がある。
妻が仕事で多忙を極めていたからだ。
また、僕も仕事があって、この時間でなければ買い物できない状況だった。
ついでにゴミを捨てに行くと、お向かいの奥さんがいて「おはようございます」のあいさつが初めてできた。
この方はとてもシャイなので、妻は仲がいいのだが、僕は今まで会話どころかあいさつもままならなかった。
それが、ちょっとニッコリ(たぶん)して「おはようございます」と言ったのだ。
驚いたしうれしかった。
気を良くして歩き出したが、道はすごいことになっていた。
戦車のキャタピラかスケート靴を履かなければ歩けないような、
凸凹、ツルツルのチョー悪路だったのだ。
途中、大学病院の裏道で知らない中年の女性が、
また「おはようございます」と声を掛けてきたので驚いた。
見ず知らずの女性なのに。
今日はどうしたことかおばさんにモテる日だ。
気を良くしながら考えた。
言葉には出さないが、きっと心の中にこんな気持ちがあるのではないだろうか?
「お寒うございますね」
「大変ですね」
「買い物ですか?」
「お気を付けて」
ひどい悪路の寒い朝、その過酷な状況を共有する者同士のいたわり合い。
それがこんなあいさつの形になって表れたのではないだろうか?
人は自分に大変なことがあっても、みんなも同じように大変だと、そこに「共感」が生まれるものだ。
だが、そうじゃない人がぬくぬくとしている場合、それを見てひがみ根性が出る。
「お前だけいいこと!」
になる。
しかもその対象に「大した仕事もしてないのに」という形容句が冠された場合、その人のひがみ根性に拍車が掛かる。
その拍車の累積と連鎖が巨大な「不平等連合」「ひがみ根性同盟」となって噴出した時に、一気にあれが起こるのだ。
「革命」である。
首チョッパーになった貴族は大勢いる。
そうならないためにブルジョアや成金の方々は、富を分配しなければならない。
などと、、、
己自身がひがみ根性の塊と化しながら、
ザックザック音を立てて、
時々ツルッ、ツルッと滑りながら、
いつもより3倍近い時間をかけて僕は帰ってきたのであった。
ご苦労さんでした。