なぜか、たまたま、寝起きに新珠三千代さんが出てきて、そこから「細腕繁盛記」と連想が膨らみ、あれを書いた人誰だっけ? と思って 花登 筺さんまでたどることができた。
で、この「花登 筺」さんの読みでつまずいた。
僕は小さい頃からずっと、それこそあのテーマがテレビから流れ、真っ先に「脚本、花登 筺」と出てくるたんびに 「はなとくに」と読んでいた。小学生の頃。
そして、当然この人は女だと思っていた。「くに」だからね。
ところがどっこい、今朝、枕元にあったスマホで簡易に調べてみて驚いた。
「はなとこばこ」と読むのである。そういえばそれもどっかで聞いたことがある。たぶん妻がそう言っていたのだろう。
そして、この方、男だった。
僕は今までかれこれ半世紀の間、ずっと間違って人生を生きてきてしまったのだ。
愕然としたが、まあ、これは今始まったことではない。
最近、とみにそういうことで驚き、穴があったら入りたい気分に陥ることが多くなったね。
今、妻と再読している夏目漱石シリーズの「行人」なども、しばらく前までは「ぎょうにん」と思っていた。「こうじん」ですね、本当は。
花登 筺さんですが、この方、星由美子さんとも結婚していたとあった。
へえ~、職権乱用?
コロンボ(ピーター・フォーク)とシーラ・ダニーズみたいな?
博学な妻は最後の件だけは知らなかったが、あとの2問は正解だった。
そして、こんなことまで教えてくれた。
花登 筺さんの「筺」って「しょう」って読むでしょう。(だじゃれおまへん)
あれは、バーナード・ショーから取ってるんだってよ。
へえ~~!
そういや、確かにそんな古式ゆかしい雅楽の楽器があったな。
でもあれは「 笙」って書くから違うんかな?
それもそうだが、 「筺」って 「ショウ」ではなくて、「筐体(きょうたい)」の「きょう」と読むのでは?
ちなみに、ウィキによれば、筐体とは、何らかの機能を有する機械や電気機器などを中に収めた箱のことを言う。 フレームを含めた外装を指す、とある。
なるほど、だから「こばこ」なのね。とそっちは納得。
でも、バーナード・ショー説はかなり怪しくなってきたではないか。
バーナード・キョーだったらよかったんだけど。まあ、いいや。忘れて、忘れて!
バーナード・ショーといえば「ピグマリオン」。「マイフェアレディ」の原作である。
彼の名言にこんなのがあった。
「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである」
「為すべきことは熱を与えることではなく、光を与えることなのだ」
妻に光を与えられた思いだった。
ちいと納得してない自分もいるが、「きょう」とも「しょう」とも読むのかもしれない。「今日」のところはそういうことにしとこ。