世知辛い時代だから?
倹約が身に付いた?
「のんびり」生きていた子供の頃
コップや茶わんが雑然と並べられた 居間のサイドボードの片隅には
決まってネスカフェのインスタントコーヒーの瓶があり
湿気で固まってしまった粉が、その中にこびり付いていたものだ。
そしてそのまま、カップに注がれることも、顧みられることもなく、瓶ごと長く時を重ねていたものだったが、そのうち消えた。
タバスコの瓶もしかり。
半分以上入ったまま、何となく変色し、そのままになって、いつかひっそり捨てられていたのだろう。見なくなった。
ああ、目薬もね。
これらのものは、全部使い切ることがなかった。
そういうものだらけだった。
そんな、のんびりした高度経済成長時代を、鼻たらし小僧は生きてきた。
今はどうだろう。
この常識が明らかに過去のものになりつつある。
そこに辛抱があり、倹約があり、人智があり、事情がある。
これを成長と見るか、貧困と見るか、判断が難しい。ビミョーである。
そんな時代の潮流の激変を、彼らは静かに語っている。