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今日、私が尊敬するコラムニストの天野祐吉さんが亡くなった。
ボクが学生時代、コピーライターを目指していた頃からあこがれていた人。
「今の日本は、言葉が壊れてしまった」。
彼はそういって嘆いていたものだ。
特に、震災後はこんなコメントも。
「政府や東電が何を言っているかさっぱり分からない。話し手の気持ちや感情が、言葉の響きの中にないから」
話し手の気持ちや感情がない言葉・・・。
それはまるでコンピューターで作られた音のように、無味乾燥で冷たく無機質なものだろう。
ボクは、テレビでお詫びすると言って頭を下げるバーコード頭の社長たちの姿を思い出した。
まるで「すみません」という気持ちが入っていない、形だけで誠意の全くないあのお辞儀を。
「金魚〜え、金魚〜」
「たけや〜、さおだけ〜」
語尾を伸ばすことによって、言葉に余裕与え、生き生きさせている。
「さおだけ」と言い切っちゃったら、パンツも干せない。
そんなふうに彼は言っていた。
明治以降の効率主義は、こうした言葉の中にある「音」を切り捨ててしまった。
それは「方言」の排除にも表れている。
方言を話すことが恥であるという文化を生んできたのだ。
天野さんは言っていた。
「意味さえ伝わればいいというのは嫌。言葉に音を取り戻さなきゃ。自分の感情に誠実な言葉を使うことを、震災後の日本をつくり直す原点にしないといけない」
今年は「あまちゃん」が大ヒットし、方言が大きく見直されることになった。
天野さんも喜んでいるに違いない。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。