「春」という死と隣り合わせの言葉。

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この時期になると、良寛和尚の辞世の句を思う。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

「あなたもいつか死にますよ」

そう言った、「北の国から」の遺言の先生の言葉を思う。

つい2~3日前、中学の同級生が亡くなった。

そのあまりに早い友の死を、ボクは火葬場の線香の煙の中で、いたたまれぬ思いでかみしめていた。

人は、遅かれ早かれいつか死ぬのだ。

それが「いつなのか」誰も知らない。

ボクの祖母は「山の神の日」に、雷鳴とどろく中で92歳で往生したし、母は「錦秋のころ」、穏やかな木漏れ日を枕元に受けながら病室で静かに息を引き取った。59歳だった。

父は2年ほど前、介護ベッドの上で意識の戻らぬまま最期を遂げた。

ボクのイノチは、いつどんな時分に、どんなありさまで散るのだろうか?

少なくとも、妻より先に死んではならん。

それは妻との約束だ。

妻を見送り、その翌日にボクは、速やかに身づくろいをして後を追っかけることになっている。

それだけは何としても、愛する妻のために実現したい目標なのだ。

そりゃあ時節は、西行さんがこんなん言うまでもなく、こんなころがいいにきまっているが。。。

「願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」(西行法師)

散った友に手を合わせ、最後にこの句で自らに戒めを。。。

明日ありと
    思う心のあだ桜
 夜半に嵐の
    吹かぬものかは(親鸞)

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