『声のチカラ』
声には、人をゆさぶるチカラがある。
あらゆる感情を、心にダイレクトに伝えるチカラがある。(docomo)
確かにそうだ。
声のチカラはすごいと思う。
そして、そのチカラを最大限に引き出していたのが電話だった。
ケータイがなかった時代、いわゆるフツーの電話は希少価値だった。
恋人同士の会話は、深夜、公衆電話ボックスの中で行われていた。
声のチカラは「恋のチカラ」であったし「魔法を生み出すチカラ」にもなった。
電話は「ときどき」かけるものだったし、相手となかなかつながらないものでもあった。
相手との「ときどき」を、ボクらは「ドキドキ」しながら待ったものだった。
一方、「文字のチカラ」。
今でも、メールで気軽に文字を送ることができる。
でも、かつてそれがなかった時代はどうだったか?
人々のコミュニケーション手段は「手紙」だった。
「声のチカラ」は「電話」を媒体としたが、「文字のチカラ」は「手紙」を媒体として発揮されていた。
固定電話が「いつでもどこでもつながるケータイ」になったように、手紙も「いつでもどこでも時間差なくつながるメール」に置き換わった。
置き換わった今、どういうことが起こっているだろうか?
確かに便利ではある。
お手軽ではある。
お気軽でもある。
でも・・・・・・。
どう言おうか考えて考えて考え抜いて、深夜、十円玉を握りしめながら「公衆電話」からかけた1本の電話。
ケータイコールにその「声のチカラ」があるだろうか?
何十枚も書いては破き、破いては書いて、夜を徹して完成させた1通の「恋文」。
メールにその「文字のチカラ」があるだろうか?
ザンネンながら、それは求めても無理だ。
同じように、SNSにも、人の心をゆさぶるそこまでのチカラはない。
このブログのテーマは『言葉のチカラ』である。
声と文字は、どちらも「言葉」を用いた表現だ。
つまり「声のチカラ」と「文字のチカラ」の総体が『言葉のチカラ』である。
このことは、これからももっともっと深く深く考えていきたい。
取りあえず、今日は序章ということで。。。