バブだかアブだか知らないが、いわばゴマノハエ!

辛辣なセリフであった。

いやあ、笑た、笑た。

有吉佐和子さんの『連舞(つれまい)』を妻に読み聞かせしながら、布団の中で2人、大笑いしてしまった。

それは、日本舞踊の名門梶川流の師匠「梶川寿々(すず)」と、その母に天賦の才を見込まれ、寵愛されて育てられた娘「千春」とのやり取りである。(以下引用)

「踊りを捨てる?!」

寿々の目は一層吊り上り、反問する声は金属的に甲高かった。

「でもバブ(ロバート飯田のこと)が、私の踊りなら、アメリカ人は十分理解できるし、ショービジネスに入ることもできるし、ロスには日本舞踊を習いたい二世たちがいっぱいいるから、お稽古場も開けるって……」

「いけませんッ、私が許しません」

「母さん。だって私はバブと結婚してるのよ」

「浮気と結婚と間違えるほどの莫迦だとは思わなかったよ。あんな舌足らずな二世相手に、本気でいるとは思わなかった。よく考えてごらんな千春、あんたには千代家本の血が……」

「母さん」

それまで哀願していた千春の態度が、急に変わって、座り直すようにして毅然と寿々を見上げていた。

「母さんはずっと、そう言い続けて私を育ててきたわ。私には先代家元の血が流れているから、だから私は踊れるんだって。つまり、私が踊れるんじゃなくて、家元の血ってものが踊っているだけなのよ。でも、バブの前では家元の血とは何の関係もない私が踊っていられるのよ。バブは、家元の有りがたさなんか知らない人だから、だからバブの前では、私は自由なの。私にもし、家元の血が流れていなかったら、母さんも梶川流の人たちも私をチヤホヤしなかったでしょう。だけど、バブは私に家元の血がなくたって愛してくれるんだわ」

「世迷いごとも大概におし。私はどんなことがあっても許しませんからね。出ていくというのなら、親子の縁は切れるとお思いよ。アメリカなんぞで梶川流の看板なんぞ上げたら承知しないからねッ」

「母さん」

「産んでから二十年育てられた恩も忘れて、バブだかアブだか知らないがね、いわばゴマノハエと一緒になるというのなら、それもいいだろうさ。そのかわり、家元の血がその躰の中でじっとしちゃいないからね。その時泣いても母さんは知らないよ」

(引用終わり)

この「バブだかアブだか知らないがね、いわばゴマノハエと……」のフレーズがいいではないか。

このフレーズを言わせるために、この小説を書き、ロバート飯田という省略形が「バブ」という男を登場させたのではないか?

と、思わせるほど、この1フレーズが冴えわたっている。

「護摩の灰」  旅人をだまして金品をまきあげる泥棒。

高野聖のいでたちで、弘法大師の護摩の灰と偽り、押し売りをしていた者がいたことから、だまして売るものや押し売りをするものをそう呼ぶようになった。
護摩の灰は、もともと、密教で護摩木を焚いて仏に祈る「護摩」で燃やす木の灰のこと。
「胡麻の蠅」とも書くのは、胡麻にたかる蠅がそれとなく近づいてしつこくつきまとうイメージが語源とされるが、「護摩の灰」を聞き違えたまま伝えられた言葉で、語源も俗解と考えられている。

寿々にとって、バブ(ロバート飯田)は、まさに娘千春につきまとう「いわばゴマノハエ」だったわけで……。

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