ここんとこ、ず~~~~っとブログを書いていなかった。
ブログに限らず、ボクたちはこの連休中、書くことはおろか、考えることすらしていなかった。
今日は、頭のリハビリのつもりで、久しぶりに書く。
リハビリなので、そんなに期待しないでほしい。
昔、会社の上司に「早く言えばさん」という人がいた。
何事にも「早く言えば」を連発するから、みんなそう呼んでいた。
しかし、彼の話はちっとも早くなかった。
フツー「早く言えば」と言った以上、それに続くセンテンスは、それまで申し述べたことを要約したものであるべきだ。
早く言うんだから。。。
ところが、彼は「早く言えば」と言った後のフレーズがより冗長になった。
長くて長くて、早いどころではなかった。
そんな体験を通じて、ボクはこういう確信を持つことになった。
「早く言えば」と言う人に限って、遅い!
似たような体験は、その後も何度かあった。
「手短に言えば」と言う人が、全然手短でなかった。むしろ「手短に言えば」と言った後のほうがやたら長話になることが分かった。
「端的に言えば」もそう。ちっとも端的でなかった。
「分かりやすく言えば」と言った後の話が、分かりやすかったためしはなかった。
「今風に言えば」と言った人もいたが、決して「今風」にはなってなかった。
「噛み砕いて言えば」の人には、本当に噛み砕いてほしかった。
「本当のことを言えば」と言うからには、それまでの話は嘘だったのか! と殴ってやりたくもなった。
「正直言えば」もしかり。
「神懸けて言えば」に至ってはもう、「この嘘つきめが!」とぶっ飛ばしたくなったものだ。
そんなわけで、ボクは今日「言えば言葉」の真実に迫っている。
「言えば言葉」を多用する人には十分注意することだ。
そーゆー人の言うことは決して信じてはいけない。
総じて言えば、そーゆーことになる。