お盆中、ボクはいろいろなことを考えていた。
だが、あんまり暑かったので、いろいろなことの大半を忘れてしまった。
たった一つ思い出せる記憶を今日は書いておきたい。
そうしないと、せっかくのいろいろな考えを全て忘れてしまうからだ。
人は何をどこで読む姿が最も格調高いだろうか?
図書館を除けば、かつて、人がものを読んでいる姿を一番目にするのは「電車」の中であった。
読んでいるものは「週刊誌」であり、「日経新聞」であり、「夕刊フジ」であり、「競馬新聞」であり、それらを熱心に読んでいるのはサラリーマンのオジサンたちであった。
「赤尾の豆単」や「チャート式数学ⅡB」などを広げていたのは、もちろん受験生であった。
あるいは「きれいなブックカバーをまとった文庫本」などを優雅に読んでいるご婦人もいた。
中には分厚い漫画本を読んでいる者もいたが、これが学生ならまだしも、いい大人がいい年こいて「少年ジャンプ」などをニヤニヤした顔で読んでいる姿はいただけない! と、当時受験生だったボクは生意気にも思っていたものだ。
「エロ本」を隠し読みするオヤジもいた。それを覗き読みする「ヤらしいニキビ面の少年」もいた。それがボクであった。
そういう光景を昔は目にしたものだ。
電車の中での読み姿というものは「その人間そのもの」を表していた。
何を、どんな顔や姿で読むかによって、その人の趣味が分かるばかりでなく、知性とか教養までもが分かりやすい形で露呈していたともいえる。
ところが今はどうだろう?
みんな「スマホ」を読んでいる。
一様にあの小さなものに向かっている。
ボクは、あの読み姿はぜんぜん格調高くないなあ、と思う。
「格調高い読み姿」って何だろう?
電車の中で百科事典広げて読め、とは言わないが(それもかなり変だが)、何というか、シャレたブックカバーを巻いた文庫本などをサッと広げて、涼しげなまなざしで読んでいる女性の姿がボクは好きだなあ。
でも、電子書籍の時代、そんな骨董品的な人は、どこを捜してもいないんだろうけど。
かつて、米余りの時代、世良正則がコマーシャルでこう言ってた。
「みんな、米、食おうよ!」と。
出版不況の今、ボクは言いたい。
「みんな、紙、読もうよ!」と。