いつからそうなったのか?
それを考えてみたい。
2つある。
土曜日が「半ドン」でなくなったのはいつからか?
ボクも妻も古い人間なので、最初に就職した会社では土曜日はまだ毎週「半ドン」であった。
それが間もなく、「週休2日制」というものに置き換わったのだが、そこにいくまでにもう一段階あった。
「完全」か「不完全」という段階である。
完全は文字通り、完全に毎週土曜日は休めるわけだが、「不完全週休2日制」は、隔週で休むわけである。
今週は完全に休みだけども、来週は半ドンみたいな。。。
そういう「暫定的」「踊り場的」段階を経て、やがてどこもかしこも「完全」になっていった。
ボクの会社もそうだった。
でも、完全に土曜日が休みになったころから、世の中の景気は悪くなった気がする。
土曜日が半ドンだったころの土曜日は楽しかった。
「半ドン」と言葉の響きには、何となくそれだけで楽しいムードがある。
「カツ丼」や「親子丼」、「欽どん」や「おいどん」などと共通する躍動感がある。
本来の業務時間の半分だけで切り上げ、
「あ、お先!」とか言って、ドードーと午前中だけで帰れるのはうれしい。
似たようなものに「早引け」というものがあるが、こちらは「病気」や「不幸」という大義名分が伴う。
つまり、何となくやましくてドードーとしていない。
明るい顔で「早引け」する人はあまりいない。
しかし「半ドン」は違う。
ど~ん! と胸を張って帰れるのだ。
そんなわけで、「半ドン」というものは、額面以上の効果があったものだ。
何だか、半分どころか3日分も得したような、ルンルンした気分になった。
「半ドン」の土曜日があってこそ、前日の金曜日はまた楽しいものだった。
また、「半ドン」の土曜日があってこそ、翌日の日曜はさらに楽しかった。
そんな時代だった。
1週間のうち3日もルンルンしていたものだ。
・・・さかのぼれば小学時代。
その頃のボクは、ことさらに土曜日が大好きだった。
学校が終わると走って家に帰ってきた。
少年Yは、ランドセルをそこら辺に放り投げると、真っ先に台所に向った。
そして、自分で「鍋焼きうどん」(即席)を作って食べた。
付属していた七味唐辛子をいっぱいかけて、それでも足りなくて家にあった七味唐辛子もたっぷりかけた。
さらに密かに「替え玉うどん」と生卵も用意していた。
つゆを残して食べ終わると、今度はそれらを入れてまた煮た。
水を足して薄くなった場合は、醤油や味の素などで味を調えた。
こんなふうに、調理法はアルミの鍋に水を入れてガスコンロにかけるだけなのだが、あれがたまらなく好きだった。
そして、替え玉と卵を入れた2杯目のアルミ皿を持って、ボクはテレビの前に座る。
「ありがとう」が始まる。
あの頃、秋田地方ではその時間にチータ(新役)の「ありがとう」をやっていた。
それから「おさな妻」というちょっとエッチな昼メロもやっていた。
そういうものを鍋焼きを食べ食べ見るのが大好きな少年だった。
それがボクの「サタデー・ゴールデン・ルーチン」だった。
ああ、ほんとうに楽しかったな。。。
が、今はどうだろう?
2日の「完全な休み」はどうだろう?
その分のツケがそれ以外の5日に押し込められて、それを思うと2日もゆっくり休めやしないのではないか?
もちろん、ボクたちは自由業なので、その2日の休みも完全にはない日が多いのだけれども。。。
ボクの考える景気浮揚策は、「土曜日半ドン、COME BACK!」である。
もう一つは次回。
「レコードがなくなったのはいつからか?」である。
お楽しみに。