「呼ぶ言葉」を考えてみる。
何を呼ぶか?
まずは「人」を呼ぶ言葉。
妻のことを何と呼んでますか?
ボクは「妻」のことは「まあちゃん」と呼ぶ。
あるいは、省略して「まあ」と呼ぶ。
時々「真理さん」とか「代表」である。
人様に向かっては「妻」である。
妻だから妻である。
ここが人によっていろいろである。
妻と呼ぶのはどーも少数派のようだ。
妻のことを「うちのかみさん」と言うのはコロンボだったが、
「うちのかみさん」ということは「外にもかみさん」がいるのか?
と、お亡くなりになった人に突っ込んでも仕方がない。
夫のことを人様の前で「夫」と呼ぶ人も少ない。
フツーは「旦那」「うちの」「亭主」である。
子どもがいる人は、夫を「おとうさん」とか「パパ」と呼ぶが、
本当はそれは「子ども」に許された言葉であって、妻の「おとうさん」や「パパ」は別にいるはずだ。
そうそう、子どもから見たらそれは「おじいちゃん」に当たる人。
妻の「おとうさん」を「おじいちゃん」と呼んでもいいのは「子ども」だけで、妻の「おじいちゃん」は「子ども」の「ひいおじいちゃん」である。
話がやや面倒くさい方向に来たので、ここで軌道修正。
閑話休題。。。
ことほどさように、「人」を指して呼ぶ言葉は多用で難しい。
これはボクの実体験だが、「おまえ」と呼んでも別に問題なかった人を「あんた」と呼んでしまって激高させてしまったことがある。
その人の生まれた地域の違いや呼び方の習慣の違いが思わぬ事態を招くこともある。
人を呼ぶ言葉は、同時に「嵐」や「誤解」を呼ぶ言葉でもあるのだ。
最後に、「自分」を呼ぶ言葉について少し書く。
自分のことをボクは「ボク」と呼ぶが、一番由緒正しいのは「私」であろう。
男でも女でも「私」と自分を呼んでいれば問題はそう起きない。
ところが、いつも気になる「自分」呼び言葉があって、それは「あたい」である。
「おいら」も駄目である。
どーも、こう、何というか・・・なのである。
あと、「旦那ちゃん」や「子どもちゃん」も駄目である。
なんかこう、ざわざわしてしまう。
それが悪いとは言わないが、ボクはどーしてもその人の知性を疑ってしまうのだ。
これらの言葉は、ボクにとってそんな「憶測」を呼ぶ言葉である。