歯を磨こうとして、朝、水が出ない。
凍っているのだ。
何しろ秋田の今年の寒さは尋常ではない。
ここから1週間は連日最高気温が氷点下の予想だ。
歯磨きが終わるころ、「ガンッ!」だった蛇口は、「チョロ」になり、
やがて「チョロチョロ」になった。
その水で辛抱強く顔を洗った。
洗い終わった時、「ジャー」になったが、遅かった。
ジャー爺という名前の老人が、かつて住んでいた村にいた。
なぜそういう名前で呼ばれていたのかなあ、と思って、ハッと気がついた。
それは「キッシンジャー」の「ジャー」だったのだ。
なぜアメリカのかつての国務長官名が、寒村の一老人に冠されたのか?
そこには深~い訳はない。
単に、屋号が「キシ」だっただけのことである。
さらにその名前を付けたのは、誰あろうボクらであった。
さて、「ジャー」に続いて、次に「ジュー」について。
ジューとくれば、やはり牛脂を載せた鍋を連想してほしい。
そこにうちの場合、ささがき牛蒡を敷き詰めしょうゆ・みりん・お酒が入る。
面倒な時は今半製で代用する。
貧しい時は生協製で代用する。
黒い温泉に小粒の泡が立ち始めたころ、満を持してアレを敷く。
このバアイ、「投入」ではない。
一枚一枚、重ならないように丹念に「敷く」のである。
牛蒡のマットレスの上に、真綿の薄~い敷布団を敷くイメージで。
その時の音が「ジュー」である。
と書きたかったのだが、もしかしたらそんな音しなかったような気もしてきた。
「ジュー」はどちらかというと、焼けた鉄板の上にカルビ肉が載った瞬間の音だった気がしてきた。
そうなったバアイ、この長~い話の「オチ」が厳しくなってきた。
なぜならボクは、最後に「ジョー」についてこんな結論を持ってきたかったからだ。
・・・この段階で割るものがある。
それは「卵」である。
冷蔵庫から数時間前に出して、常温に戻しておいた卵である。
「ジョー」温に戻しておいた卵。