義父の十三回忌。
あの時と同じような大雪に見舞われそうだ。
12年前、訃報を受けて家を出る時は、2人とも心が激しく動転しており、
1週間後、家に戻った時、水道管が破裂していることも、
屋根がつぶれそうになっていることも、
玄関前を、屋根に届くほど雪が覆い、家の中に入ることができなくなっていることも、
全く想定できなかった。
また、想定したところでどうしようもなかった。
2006.1.31。
12年前のあの日を思い出す。
高速自動車道、前も見えない吹雪の中、オンボロ軽自動車を走らせ、
かなりの時間をかけてボクらが石巻の病院に着いた時、
その人はもう棺に入っていた。
家に移された棺を開けた妻は、白く眠る父の胸に顔を押し付けて慟哭した。
十三回忌のプロデューサーは、12年たってより一層パワーアップした義母である。
心臓の大手術から無事生還し、バリバリフレッシュアップした84歳である。
「今回は私の好きなようにさせてもらいますから!」
大物プロデューサーはそう宣言して、3人の子どもたちはもちろん、
孫6人と、それらの連れ、
加えて10人近いひ孫たちにも全員集合の号令をかけたのであった。
かくして、義父と義母の幹から広がった枝葉たちである
総勢25人の「ルーツタカハシ」たちが集うことになったわけである。
題して『十三回忌だよ、全員集合!』
大物プロデューサーに逆らう者は誰もいなかった。
「逆らえる者は」と言うべきか。
それだけの迫力と威圧感がそこにあった。
しかし、言葉を換えれば、これは亡き夫への愛の形だ。
頼もしいなあ、と思う。
美しいなあ、と思う。
思えばこの12年、いろんなことが激しく変わった。
義父の死から5年後に起こるあの大災害を誰が予測できただろうか。
義父の葬式の喪主だった義兄はがんで亡くなった。
この夏が彼の7回忌である。
また、当時全員独身だった孫たち6人のうち5人がそれから結婚した。
そして8人の子どもが生まれた。
この12年で、13人の新しいメンバーが加わったわけだ。
4日後、ボクらも発つ。
変わった者、変わらない者たちに会いにいこう。
オンボロ軽自動車ではなく、今度は新幹線で行ける。
この12年で少しだけボクらもリッチになったもんだ。
帰ってからの観葉植物の凍死はやむなきだが、
今回は、水道の水抜きだけはしていこう。