谷川俊太郎さんがご自身のブログの『立ち話』を更新してくれました。
こんな奥深いことが書かれています。
脳天気
言葉に頼ってはいられないと思う。若いころから言葉というものが、人間にとって無くてはならぬものと承知していながら、しばしば事実を覆い隠すもの、事実を偽るものとして、言葉を考えてきた。
メディアは言葉で溢れている。映像も言葉によって選別され、言葉によって説明される。言葉を海面上の氷山に喩えるとすると、海面下に隠れた氷山の巨大な塊が事実ということになるだろうか。その事実そのものが既に言葉の縺れ合った塊なのだから、当事者ではない人間には近づくことすら難しい。
詩の言葉は事実と対応しないですむ言葉だから、いくらでも脳天気でいられるし、無責任でいられる。その代償として、詩の言葉に何が出来るのか。癒す、慰める、励ますというような次元で考えるのもいいが、言葉で書かれながら、言葉に頼っていない詩があり得るのではないかと、夢想する。(俊)
言葉で書かれながら、言葉に頼っていない詩があり得るのではないか。
ボクは、谷川さん自身が、その「言葉を超えたもの」「言葉に頼らない詩」そのものになっているような気がする。