言葉を表す手段として「文字」がある。
文字を書く手段として「手」がある。(人によっては口や足もあるようだ)
文字を「打つ」手段として、長らく君臨してきたのが「タイプライター」であった。
ボクも以前、オリベッティーだったかブラザーだったかのを持っていた。赤と黒のリボン式のやつ。
今でもシャーロック・ホームズやポアロやコロンボなどの刑事・推理物には必ず登場する小道具でもある。『太陽がいっぱい』にも出てきたな。
それから間もなく「ワープロ」にその座が奪われた。
世界初の「日本語ワードプロセッサー」ができたのは、1978(昭和53)年の今日(9月26日)だそうだ。なので、今日は「ワープロの日」と言われている。
東芝の研究室での第1号機の誕生である。価格はなんと、驚くなかれ630万円!
1985(昭和60)年に、同社は日本語ワープロの普及機「Rupo」を99、800円で発売した。
ボクはこれも持っていた。当時は金持ちだったようだ。
シャープは「文豪」なるもので対抗していた。そんな時代が懐かしい。
しかし、パソコンの普及によって2000(平成12)年には生産が中止されている。
ワープロからパソコンへ。たった15年の命だった。
もちろん今は「ワード」である。このワープロソフトがスタンダードになった。
日本語なのだから「一太郎」にももう少し頑張ってもらいたかったが、安全保障条約の関係がここでも成り立ってしまった。
まあ、それはいいとして、今さっき、妻が打っていた原稿が一瞬にして消えたそうだ。
データの修復がかなわず、仕方なくまた打ち直している。
顔は悔しさで歪んでいる。目には涙をためている。
この顔、この状況を、ボクらはどれだけ味わってきただろうか?
こまめにバックアップを取らなかったでしょ?
と言われれば、「はい、そのとーりです」と、うなだれて答えるしかない。
ホントに申し訳ございませんでした。と、行き場のない謝罪をしなければならない。
こんな時、ふと、「ああ、ルポや文豪ならよかったのになあ」と思う。彼らならこんなに簡単に、非情に、無情に、あっけなく「プツッ」と消えなかったように思う。
そうそう、話を戻して、タイトルの『ワープロ台風』だが、それはこういうことだ。
今日は『ワープロの日』でもあると同時に、大変ミステリアスな日でもあるのだ。
『台風襲来の特異日』でもあるのだ。
そのわけは、まず1954(昭和29)年の「洞爺丸台風」で青函連絡船・洞爺丸が転覆したのがこの日だった。ボクが生まれる前のこの台風のことは水上勉の『飢餓海峡』で知った。
また、1958(昭和33)年の「狩野川台風」が伊豆・関東地方に来襲したのもこの日だった。
さらに、ボクが生まれた1959(昭和34)年、東海地方等に台風15号が来襲し、明治以来最大の被害を齎した「伊勢湾台風」が襲ったのもこの日だった。
全国で死者・行方不明者は5000人を超え、57万戸の家屋が被害を受けた。
ワープロと台風。。。
何の関係もないように見えるが、一瞬にして大きな被害をもたらして消えたという意味では似ていなくもない。
ワープロにとってパソコンは、まさに台風さながらの脅威だった。
そんな9月26日の今日だが、外は台風どころか雲一つない澄み渡った秋の空である。