言葉と思想。

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寺山修司 ‏の言葉。

人間は言葉と出会ったときから、思想的である。

確かに言葉がなかった時代は、考えることもあいまいなものだったに違いありません。
人間は書いたり読んだり、しゃべったりするとき以外にも、「考える」ときにも言葉を使います。
言葉を知らなければ、思考も自ずから不自由なります。

日本人の思考と西洋人の思考が違うのも、文化の違いだけではなく、突き詰めれば「言葉」の違いによるものです。もちろん「言語」もまた、広い範疇では「文化」に含まれるわけですが・・・。

同じ東洋人でも、日本人と「中国人」、「韓国人」の思考は違います。
大陸的だとか島国だとか、半島だとか、そういう「地理的条件」の違いだけではありません。ここにもやはり「言語」の違い、すなわち「言葉」の違いが大きく関係しているように思わます。

なぜなら「言葉」は「思考」であり「思想」だからです。

また、英語や中国語は日本語と違って、文法的に「結論」を先に言います。
そういう言語圏の人は、どちらかというと「好戦的(ケンカっ早い)」なような気がします。
逆に、日本語のように、最後まで聞かなければ何が言いたいか分からない(最後まで聞いても分からない?)言語もあります。

日本人はよく外国人から「イエスかノーかはっきり言え!」と言われます。
日本人は、結論を先延ばしにする、言いたいことを婉曲にあいまいに言う、言葉を濁して言う、だからダメだと諭されます。
確かにこれは日本人の特徴ですが、このことは「日本語」の特徴そのものでもあるのです。
そういう「言葉」や「文法」を使ってきた日本人が、そういう思考をし、そういう思想を持つようになったのも無理はないのです。

でも、私は何でもかんでも「結論を早く!」「はっきりビシバシ!」「白か黒か、正か誤か、オールかナッシングか」だけで表現する言語が必ずしも優れているとは限らないと思います。

言葉に含まれる微妙なニュアンス。そして、それを感じ取れる繊細な感受性によって成り立つ言語もまたとても素晴らしい言語だし、大切だと考えます。
日本語に丁寧語や謙譲語が多いのも、昔から「目上の人を尊敬する態度」や「謙虚にふるまう態度」が大切なものだと教えられてきたこと、それが受け継がれてきたことの証拠なのです。

いろんなものがよその国に侵食されてきている時代ですが、私はこの「日本語」の素晴らしさだけは守り続けていかなければならないと思っています。
それは、とりもなおさず「日本人の素晴らしさ」を守ることになるのですからね。

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